ルネ・マグリット美術館オーナーとの出会い
弊社社長は、ベルギーのブルッセルにある『ルネ・マグリット美術館』まで出向き、オーナーである、アンドレ氏に会いに行きました。
目的は、日本で“マグリット”の商標登録を取得していて、“ザ マグリット”の称号で結婚式場を運営していることをお伝えすること、でした。
以下は、ベルギー王立美術館公認解説者の森耕冶先生から伝授いただいた、ルネ・マグリット美術館オーナーのアンドレ氏に関する内容です。森先生の著書『マグリット 光と闇に隠された素顔』にも同様の内容が記述されています。
アンドレ氏はかつて図書館の司書でした。そして、マグリットの奥さんのジョルジェットが他界し、親友だった弁護士のスキュトネールも亡くなり、スキュトネールの未亡人からアンドレ氏に、亡きご主人の膨大な蔵書の整理を依頼されました。
整理を始めたアンドレ氏は、蔵書の中に何十枚もの、マグリットの小さな作品が挟まれていることに気づきました。彼はそれを全部束ねて、蔵書の整理後にスキュトネール夫人に渡しました。でも夫人はそれをアンドレ氏の報酬として渡したということです。
アンドレ氏は、後にそれを資金にして現在のルネ・マグリット美術館の建物(旧ルネ・マグリットの自宅)を買収しました。
ルネ・マグリット美術館は、もともとはマグリットの自宅兼アトリエを改装したものです。私はザ マグリットのパンフレットをそこの受付のスタッフに差し出し「私は日本で結婚式場をしているのすが・・・」と話し始めました。するとその受付の方が「私に言われても困ります。」と言って、アントワープに住んでいるアンドレさんに電話してくれました。
すると、その受付の方が「アンドレさんがこちらまで来ると言ってますので、夕方4時にもう一度来てくれますか?」ということになり、お目にかかることになった訳です。
お会いして、このことを伝えたとき、『世界中で“マグリット”の称号を使っていることを伝えに来たのはあなただけだ。わざわざありがとう。また、遠い日本でマグリットの名前を使ってくれていて感謝するよ。』と言われて、正直びっくりしました。(羽原社長談)
2007年のお話しです。
ルネ・マグリットの自宅 & アンドレ氏
ルネ・マグリットは、1930年ブリュッセルのエッセゲム通りに引っ越しました。
この家は、幅6m、ピンクのレンガ作りの3階建ての目立たない家です。
現在は私立の“ルネ・マグリット美術館”になっています。
家の前にある古びた街灯には見覚えがありますね。
『光の帝国』に描かれた街灯にそっくりなのです。
この家はブリュッセルの典型的な家で、幅が細い分、奥行きがあって、家の裏が細い庭になっています。
マグリットはその庭の奥の大きな小屋に、「ドンゴ」という名のデザイン・アトリエを創設して、しばらくの間、広告デザインで生計を立てていました。
![美術館 外観](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29666320/picture_pc_380ca73ad7ec4c4a34a279aeb0211e8a.jpg)
▲私立ルネ・マグリット美術館として公開されているエッセゲム通りの家
![美術館看板](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29666443/picture_pc_46e9bf0e5ee58291b7b72c4c77a1d2a9.jpg)
▲ルネ・マグリット美術館の看板
![ドンゴ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29666570/picture_pc_3eb135a342169b19d6041e9dce68cbb8.jpg)
▲デザイン・アトリエ「ドンゴ」
![ドンゴ内部](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29666616/picture_pc_c4e9ecf3caad96d953e7cff379d53945.jpg)
▲ドンゴの内部
この細長い家に入ると、右側に、奥のキッチンに通じる長い廊下があります。
廊下の左側にドアが並んでいて、入口のすぐ横の部屋は居間として使用されていました。
次の部屋は寝室、3番目の小さな部屋は、書庫兼衣装部屋でした。
そして最後の庭に面した3×4mの小さなダイニング・ルームが、マグリットのアトリエ代わりでした。
その奥には小さなキッチンがあって、マグリットはそこに風呂も設置しました。
この家は、1993年に現在の所有者アンドレ氏によって買われて、ルネ・マグリット美術館として生まれ変わりました。
購入したとき、元の所有者は、幼年時代に出会ったマグリットのことをおぼろげながら覚えていたそうです。
この空間では、マグリットがどのような環境で、24時間ジョルジェット(妻)と暮らしながら、独自の芸術を築き上げたかを想像することができます。
![画像10](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29666970/picture_pc_61ea0d87268cd6cb2124788153d4421f.png?width=1200)
▲ ルネ・マグリット美術館のオーナーアンドレ氏と弊社社長
![画像10](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29667025/picture_pc_f54a93f2c9b00699fec1a181d4cb0adb.jpg?width=1200)
▲ルネ・マグリット美術館の受付の女性
森耕冶先生によりますと、マグリットは、生涯で約3,000枚のデッサンと、1,700枚のグァッシュ画や油絵を描き、このエッセゲム通りの家では、その半分が制作されたようです。
また、森耕冶先生が取材をしたとき、アンドレ氏は、「マグリットは、毎朝犬を連れて近所を散歩して、近所の人たちにも礼儀正しく挨拶しましたが、とても控えめな人でした。
貧乏なときは、チーズ屋さんと薬屋さんに、お金の代わりに自分の作品を置いていきました。」とマグリットのエピソードを語ったそうです。
▲ 森耕冶著『マグリット 光と闇に隠された素顔』より
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29144705/picture_pc_e042db4a595324614d6f0ecd5de857d1.jpg?width=1200)
こうして、THE MAGRITTEと、ルネ・マグリットは正式に出逢うこととなり、現在に至ります。
アンドレ氏は、50kmも離れたアントワープのご自宅からわざわざ出向いてくださっただけでなく、ブリュッセルで開催された、マグリット展の実際のポスターや、たくさんのマグリットの絵画(ポスター)、『イメージの裏切り』のトランプ、サベナ航空で実際に使用していたマグリットがデザインした食器の数々…
たくさんのお土産をいただきました。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29145064/picture_pc_15c9457ad92657c9ef9e8678a04e7a28.jpg)
▲ サベナ航空の食器
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29145121/picture_pc_a86bb13108bc2cb1e2e6f9ad07f5fade.jpg)
▲ イメージの裏切り トランプ他
![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29145233/picture_pc_5d0ac3383c1c292e1790fec61bf6adfd.jpg?width=1200)
ルネ・マグリットのお墓
無神論者だった夫ルネの意思を尊重してか、十字架はつけられていません。
墓石の手前には両側に壺が置かれ、お花が生けられているだけの普通のお墓です。
森先生によりますと、マグリットのお墓は、お花も少し枯れ始めていて、晩年のマグリットがライバル意識を持ったポール・デルヴォーのお墓は、年中花で覆われてたいへん美しいのに、随分意外に感じたようです。
マグリットが生涯描いてきた絵画の本当の意味は、マグリット自身にしかわからないのです。
マグリットの死後は、妻のジョルジェットのみが、その暗号のメッセージを解読する鍵を持っていた人物でした。
しかし、ジョルジェットはその鍵で秘密を暴こうとせずに、結局彼女も亡くなってしまいました。今では、その二人は仲良くここで永眠しています。マグリットのメッセージは永遠に解読しがたく、神秘的なものとなってしまいました。
二人のお墓は、2009年1月22日に、ベルギー政府によって歴史記念物として認定され、永久保存されることになったそうです。
▲ 森耕冶著『マグリット 光と闇に隠された素顔』より
株式会社マグリット
専務取締役 羽原正人
THE MAGRITTE @partylabo.
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